1985年8月12日明日(2025年)で40周年をむかいます。
当時は夏休みやお盆で帰る人などで飛行機は満席でした。
飛行機は当時一番人乗れるB747通称ジャンボ(524人乗り)
で524(MAX)ででした。内訳は乗客509名乗務員15人です。
JAL123便は羽田発伊丹行です
普段でもおそらくよく利用する便です
東京→大阪の直行便です
犠牲者は520名
奇跡的に生存者は4名いました。
この事故は決して忘れてはいけないと思い
まとめてみました。
8月12日は日航機墜落事故から明日で40年
日航機墜落事故(日本航空123便墜落事故)は1985年8月12日に発生し、今年2025年で40年を迎えます。乗客乗員520人が犠牲となった日本航空史上最悪の事故であり、単独機事故としては世界史上最悪の死者数です。
この事故は、羽田空港を離陸したJAL123便が尾部の圧力隔壁破損による垂直尾翼と油圧系統の喪失で操縦不能となり、群馬県上野村の御巣鷹の尾根へ墜落したものです。原因は機体修理時の重大な施工ミスと設計上の欠陥でした。
事故から40年を迎えて
事故当時の状況や犠牲者・生存者の証言は、多くの報道や書籍に残されており、今も追悼・安全意識の原点となり続けています。
奇跡の生存者は4名すべて女子
生存者4人はすべて女性(事故当時8歳~34歳)であり、事故機の後方座席に座っていたため偶然にも助かったとされています。生存者は以下の通りです
奇跡的に無事だった4名の現在は
生存者4名は、それぞれ今も一般社会の中で静かに生活しており、現在も公的な場で積極的に発信することはありません。
社会背景として、生存者4名は今も事故の記憶と向き合いながらも、過度なメディア露出は控え、いずれも「静かに、普通の生活を送っている」ことが共通しています。
なお、具体的な職業や家族構成については個人のプライバシー保護の観点から非公開である場合がほとんどです。
日航機墜落事故(日本航空123便墜落事故)で亡くなった有名人は、主に以下の人物です。
実は明石家さんまさんはこの飛行機を乗る予定だった
なぜその飛行機乗らないないで難を逃れたか?
明石家さんまが日航機墜落事故を免れた具体的な理由は、当日出演したバラエティ番組「オレたちひょうきん族」の収録が予定よりも早く終わったためでした。
当初乗る予定だった日本航空123便をキャンセルし、その一つ前の便(全日空便)で大阪へ向かったからです。
その後、さんまさんはこの経験をきっかけに東京-大阪間の移動は飛行機ではなく新幹線を利用するようになり、座右の銘「生きてるだけで丸儲け」もこの事故体験に由来しています。
まとめ
決して忘れてはいけない、そしてそのことを引き継いでいかなければならない
JAL(日本航空)も若い世代(知らない世代)に語り継がらなければなりません
また当時起こった事はドキュメンタリー、映画、ドラマなどでやっていましたが、
明日そのことをニュースなどで放映すると思います?また新聞も大きく載ると思います。
このことは語りつながらなけばなりません。