相川七瀬さんは私と年が近いのでデビュー曲(夢見る少女じゃいられない)
ですが個人的私は「恋心」(初のミリオン)でした。
「恋心」YouTubeでは本人も出てます。
そんな彼女の高校時代はどんなことがあったのかまとめていきたいと思います。
彼女は関西人ですが私も関西人で関西弁を使うところもすきでした。
高校は「大阪府立北淀高校」

2020年に西淀川高校と統合され現在は淀川清流高校となってます。
相川七瀬さんの出身高校は大阪府立北淀高校ですが、高校は2年生の時に中退しています。
北淀高校は府立の共学校で、2020年に西淀川高校と統合され現在は淀川清流高校となっています。
高校時代の相川さんはやんちゃで、暴走族のトップと交際していたことや髪の毛の色をオレンジにしていたこともあったそうです。
中学時代にいじめや両親の離婚などで心に悩みがあり、高校でも不安があったことから中退に至ったといわれています.
高校中退後

引用元;Instagram
相川七瀬さんは高校を中退後、猛勉強の末に2018年に高卒認定試験に合格し
2020年に國學院大學神道文化学部に入学しました。
2024年3月に同大学を卒業し、同年4月からは國學院大學の大学院に進学しています。歌手活動や子育てを続けながら学び直しをする姿が話題となっています.
高校時代のエピソード
織田哲郎さんとの出会い
相川七瀬さんの高校時代のエピソードとして、中退するまでの間は普通の高校生活を送りつつも、内心では歌手になる夢を一度諦めていたことが挙げられます。
中学3年生の時に織田哲郎さんのオーディションを受けて落選し、芸能界を諦めて高校進学しましたが
約1年後に織田さんから連絡をもらい、高校を中退して歌手デビューを目指し上京しました。
高校時代はやんちゃで、クラスを笑わせることを考えていたという明るい面もあったみたいです。
また、幼少期からの夢を追いかける葛藤や挑戦の時期でもありました。
高校中退の決断により歌手デビューの道を歩み始め、大きな人生の転換点となりました。高校中退後は夢追いと芸能界への挑戦を本格化させた時期であり、これが彼女の人生の大きな節目となりました
芸能界入りは実は諦めていた。
芸名「相川七瀬」はプロデューサーである織田哲郎が命名した
相川としては、芸能界入りを諦めており、一旦は断るが、この時に織田から自宅の電話番号を伝えられ
約1年後に改めて織田に連絡高校中退ののち上京。
歌手デビューのためにボイス・トレーニングを開始する。
高校中退からの学びの動機
子育てで忙しい中でも学ぶことに強い意欲を持ち、自分の可能性を広げるために学び直しを選んだことがわかっています。
大学院に進学してまで学び続ける背景には、「自分の中にある新しい世界を見たい」という思いや、
子育てをしながら社会や自分に貢献したいという気持ちがあった。
学び直しでの苦労
相川七瀬さんが学び直しの過程で最も苦労したことは、子育てと歌手活動をしながら学業を両立させることでした。
特に多忙なスケジュールの中で時間を確保して勉強する苦労が大きく、
生活のリズムを大きく変える必要があったことが挙げられます。
また、学業の内容そのものも難しく、専門知識の習得や大学のレポート作成、試験勉強などに対しても相当の努力と忍耐が必要だったことが報じられています。
こうした中でも「成長したい」という強い意志を持ち続け、4時起きで勉強を続けるなど、自己管理と集中力の維持に励んだことが最大の苦労だったとされています。
まとめ
相川七瀬さんの高校時代は中退でした
そして現プロデューサーの織田哲郎さんとの出会いがきっかけで
(中学3年の時にすでに出会っている)オーデションで落選してその1年後高校時代に
出会いがきっかけで歌の道がはじまり、また話題は大学の合格が話題になりました
現在は50歳でまた、30周年がスタート2025年コンサートもあるそうです。
当時何回も「恋心」聞いていました
