お城と桜の関係
■2025年も桜の季節を迎える。桜は日本のシンボル、というのが多くの日本人の認識で、外国人もそうとらえているようだ。だから毎年、桜の季節には訪日需要が高まり、昨年も3月に史上はじめて、訪日外国人の数が単月で300万人を超えた。 では、桜となにを組み合わせると、もっとも日本らしい景色になるのだろうか。地域の歴史的シンボルである城は、その最たるもののひとつと認識されている。桜が咲き乱れる城こそ日本的な景色の代表ではないか、と。実際、城と桜のコラボには有無を言わさぬ美しさがある。
第3は大阪城
お得で人気の旅をお探しの方は必見!エアトリ国内ツアー

今回は、もうまじか、桜の季節ですね
さくらはさくらは人を癒します。そこでお城と桜という事で
2025年も私は地元の桜祭りに行こうと思ってます
ベスト3を紹介していきます。
大阪城の別名
お城には必ず別名があります
大阪城も別名があります
大阪城(おおさかじょう)は、現在の大阪府大阪市中央区に位置する日本の歴史的な城です。別名として「錦城」や「金城」とも呼ばれます。
概要
- 築城: 大阪城は、安土桃山時代の1583年に豊臣秀吉によって築かれました。その後、江戸時代に徳川秀忠によって大規模に修築されました。
- 歴史的役割: 大坂の陣を経て、明治維新で廃城となりましたが、現在は観光地として多くの人々に親しまれています。
- 現代の大阪城: 1931年に復興された天守閣は、博物館「大阪城天守閣」として利用されています。また、大阪城公園として整備され、市民の憩いの場となっています。
主な施設と文化財
- 天守閣: 1931年に復興され、国の登録有形文化財に指定されています。
- 石垣や堀: 徳川時代のものが残っており、国の特別史跡に指定されています。
- 大手門や櫓: 重要文化財に指定されています。
観光情報
- 入場料: 大人600円、中学生以下は無料(証明書必要)。※
- 桜の名所: 大阪城は桜の名所としても知られています。
大阪城は、豊臣秀吉や徳川時代の歴史を感じることができる場所であり、現在も多くの観光客が訪れています。
※入場料は値上げ予定になってますので。詳しくは
おしろツアーズに大阪城(内部リンク)
第2位岡城
岡城の別名
岡城は大分県竹田市に位置する日本の山城で、別名「臥牛城」や「豊後竹田城」としても知られています。標高325mの天神山山頂を中心に、稲葉川と白滝川に挟まれた断崖絶壁上に築かれた難攻不落の名城です。
歴史
岡城の起源は1185年(文治1年)に遡り、緒方惟栄が源義経を匿うために築城したとされています1。その後、1334年に後醍醐天皇の命を受けた滋賀貞朝が城を拡張しました。1594年(文禄3年)、豊臣秀吉の九州平定後、中川秀成が入城し、大規模な改修を行いました。
特徴と見どころ
岡城の最大の魅力は圧巻の石垣群です。
- 石垣: 阿蘇山噴火時の火砕流が川で冷やされて形成された石を使用し、「切込接ぎ」や「打込接ぎ」の技法が多く用いられています。
- かまぼこ石: 大手口から大手門へ向かう道に並ぶアーチ状の石で、他の城では見られない貴重なものです。
- 高石垣: 三の丸北側から二の丸に続く高石垣は、美しさと壮大さを兼ね備えています。
- 鏡石: 大手門や太鼓櫓門にある、城主の権力を示す装飾的な石です。
現在の状況
明治維新後、廃城令により建物はすべて取り壊されましたが、石垣は残されています。1936年(昭和11年)に「岡城址」として国の史跡に指定され、現在は日本100名城の一つとして知られています。
観光情報
岡城跡は9:00から17:00まで開館しており、高校生以上の入場料は300円です。毎年4月5日頃には岡城桜まつりが開催されます。また、城下町には武家屋敷通りがあり、歴史的な建造物や文化施設を巡ることができます。
岡城は、滝廉太郎の名曲「荒城の月」のイメージの源となった場所としても有名です。四季折々の美しい景観と歴史的な価値を持つ岡城は、大分県の重要な観光スポットの一つとなっています。
第1位上田城
上田城の別名
上田城(うえだじょう)は、長野県上田市にある歴史的な城で、天正11年(1583年)に戦国武将・真田昌幸によって築かれました。以下にその特徴や見どころをまとめます。
- 尼ヶ淵城(あまがふちじょう):千曲川の分流である尼ヶ淵に面していることから名付けられました。
- 真田城(さなだじょう):築城者である真田昌幸や真田家に由来しています。
- 松尾城、伊勢崎城:これらも別名として知られています。
概要と歴史
- 築城者: 真田昌幸
- 位置: 上田盆地の中央部
- 構造: 平城(平地に築かれた城)で、堀と土塁に囲まれた堅牢な造り。
- 戦歴:
- 第一次・第二次上田合戦で徳川軍を撃退したことで有名。
- 「落ちない城」として全国的にその名を轟かせました。
- その後の歴史:
- 関ヶ原の戦い後に破却されましたが、仙石氏によって再興され、松平氏の居城となりました。
見どころ
- 現存する建物と復元部分:
- 西櫓(県宝)、南櫓、北櫓(昭和24年復元)、東虎口櫓門(平成6年復元)。
- 城内には石垣や土塁が残り、往時の面影を伝えています。
- 特徴的な構造:
- 真田井戸: 本丸唯一の井戸で、伝説では抜け穴があったとされています。
- 真田石: 大きな石垣の一部で、真田信之が形見として持ち出そうとした逸話があります。
- 尼ヶ淵: 千曲川の分流を天然の堀として利用した地形。
- 四季折々の風景:
- 春には約1,000本の桜が咲き誇り、「千本桜まつり」が開催されます。
- 新緑や紅葉も美しく、自然散策にも最適。
- 文化施設:
- 上田市立博物館や櫓資料館があり、歴史や文化を学べます。
- 眞田神社では合格祈願や必勝祈願が行われ、多くの参拝客が訪れます。
アクセス
- JR上田駅から徒歩12分。
- 車では上信越自動車道上田菅平ICより約15分。
- 市街地循環バス「赤運行」で「公園前」下車。
現在は公園として整備され、市民や観光客に親しまれる憩いの場となっています。戦国ロマンあふれる上田城跡公園は、歴史探訪と自然散策を楽しむスポットとしておすすめです。
まとめ(地元岸和田城)
私は年1回桜祭りに行ってます



写真は令和6年撮影
岸和田城の主な別名は「千亀利城(ちきりじょう)」です。この名称の由来は、本丸と二の丸を重ねた形が、機(はた)の縦糸を巻く「ちきり」という器具に似ていることからきています。
他にも以下の別名があります:
- 猪伏山ちきり城
- 蟄亀利城
- 岸ノ和田城
- 滕城
「ちきり」という名称は、「千亀利」や「蟄亀利」などの漢字でも表記されます。これらの表記は、同じ読み方の言葉を異なる漢字で表現したものと考えられます。
岸和田城は、大阪府岸和田市に位置し、江戸時代には岸和田藩の藩庁が置かれた重要な城でした。現在は、本丸庭園が国の名勝に指定され、城跡は大阪府の史跡となっています。
近くに岸城神社もあります
岸城神社について

岸城神社(きしきじんじゃ)は、大阪府岸和田市岸城町に位置する神社です。岸和田城の東側に鎮座し、城の鎮守神として知られています。
岸城神社の起源は古く、もともと地元の農民たちが五穀豊穣を祈って建立した神明社に遡ります。約650年前、京都の八坂神社(祇園感神院)から素戔嗚尊を勧請し、牛頭天王社として信仰されるようになりました。
慶長年間(1596年-1615年)に、豊臣秀吉の家臣である小出秀政が岸和田城主となり、城の大改修に伴い、現在の場所に牛頭天王社と八幡宮を合祀して「御宮」を建立しました。
明治維新後の1868年、神仏分離により「岸城神社」と改称され、神明社も境内に移されました。2008年には本殿が改修され、神明社の祭神である天照皇大神も本殿に合祀されています。
- 岸和田だんじり祭: 岸城神社は、有名な岸和田だんじり祭の聖地として知られています。
- 縁結びの神: 岸和田城が「千亀利城(ちきりじょう)」と呼ばれていたことから、「ちぎりの神」として縁結びの神様としても信仰を集めています。
- 境内の見どころ:
- 関西では珍しい備前焼の狛犬
- 「千亀利城」にちなんだ亀の像がある手水舎
- ミニだんじり(神職に声をかければ見学可能)
- 子供たちが描いた大絵馬
- 南海本線「蛸地蔵駅」から徒歩約5分
- 南海本線「岸和田駅」から徒歩約8分
岸城神社は、歴史ある神社として、また岸和田だんじり祭の中心地として、地域の人々に親しまれています。縁結びを願う参拝者も多く訪れる、岸和田市の重要な文化的スポットとなっています。
地元で見つけたマンホールではないかもしれませんが

大阪のさくら情報は27日開花予想になってます
これから桜前線ですね


にほんブログ村