大阪府岸和田市にある岸和田城で、タレントの田村淳さんを大将に迎えた「武者行列」が話題となりました。天正11年(1583年)の岸和田城攻城戦や蛸地蔵伝説をモチーフに、総勢約100人の武者たちが蛸地蔵天性寺から岸和田城まで練り歩く豪華なイベントです。田村淳さんは、大河ドラマ『功名が辻』でも演じた中村一氏役として登場し、歴史ファンから大きな注目を集めました。
岸和田城へのアクセスは、南海本線「蛸地蔵駅」から徒歩約7分、「岸和田駅」から徒歩約13分と便利です。車の場合は阪神高速湾岸線「岸和田南IC」から約7分ですが、専用駐車場がないため公共交通機関の利用がおすすめです。
今回は戦国の雰囲気を体感できる武者行列と、歴史ある岸和田城の見どころをあわせて楽しみたい方必見の内容です。
岸和田城のアクセス
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 所在地 | 大阪府岸和田市岸城町9番1号 |
| 電車 | 南海本線「蛸地蔵駅」徒歩約7分、「岸和田駅」徒歩約13分 |
| JR利用 | JR阪和線「東岸和田駅」からバスで南海「岸和田駅」へ、徒歩 |
| 車 | 阪神高速4号湾岸線「岸和田南IC」から約7分 |
| 駐車場 | 岸和田城専用駐車場なし。周辺 |
私個人は南海蛸地蔵駅(普通車のみ停車)がおすすめです。駅からすぐです
岸和田駅より近いです。
岸和田城の料金
岸和田城の天守閣は、大人300円・中学生以下無料、開場時間は午前9時〜午後5時(最終入場16時30分)です。
開場時間・休場日
- 開場時間:午前9時〜午後5時、最終入場は午後4時30分です。
- 休場日:年末年始(12月29日〜1月3日)と展示替え期間です。
- 2026年3月31日以降は上記の時間が基本ですが、お城まつり期間中は夜間開場などの変更がある場合があります。
訪問前に、岸和田市の岸和田城公式ページで臨時休場やイベント時の変更を確認するのが安心です。
岸和田城の休場日
岸和田城の休みは、原則として毎週月曜日です。月曜日が祝日の場合は開場し、翌日が休場となります。
- 毎週月曜日(祝日の場合は開場、翌日休場)
- 年末年始:12月29日〜1月3日
- お城まつり期間中(4月1日〜15日):月曜日でも開場
- 展示替え・定期清掃などによる臨時休場:別途発生する場合があります。
現在の注意点
2026年は、9月24日(木)と10月5日(月)が定期清掃などのため臨時休場でした。 今後の訪問予定がある場合は、臨時休場の可能性もあるため、岸和田城(072-431-3251)または岸和田市公式サイトで最新情報を確認するのが確実です。
岸和田城の歴代の城主
岸和田城は、戦国期から豊臣期を経て江戸期まで城主幾度も交代しました。特に有名なのは、豊臣秀吉の叔父・小出秀政と、明治維新まで約230年間続いた岡部氏です。
主な歴代城主
岸和田城の歴代城主は、戦国期の松浦氏・三好氏らを経て、豊臣期の中村一氏・小出氏、江戸初期の松平(松井)氏、そして1640年から明治維新までの岡部氏13代が中心です。
豊臣期〜江戸初期
| 時期 | 城主 | 概要 |
|---|---|---|
| 1585年頃 | 中村一氏 | 羽柴秀吉が紀州根来寺対策として城主に任じました。 |
| 1585年〜1604年 | 小出秀政 | 秀吉の叔父。岸和田3万石を与えられ、1597年に五層天守を完成させました。 |
| 1604年〜1613年 | 小出行重 | 小出氏2代として岸和田を継ぎました。 |
| 1613年〜1619年 | 小出吉英 | 小出氏3代。1619年に但馬出石へ移封しました。 |
| 1619年〜1640年 | 松平康重 | 松井松平家。5万石で入封し、総構えや城下町整備を進めました。 |
| 1640年 | 松平康映 | 康重の長子。短期間在城し、播磨山崎へ転封しました。 |
岡部氏の時代
1640年、高槻から岡部宣勝が6万石で入封しました。以後、岡部氏が13代にわたって岸和田藩主を務め、明治維新まで約230年間城主を継ぎました。
| 代 | 藩主 | 在任 |
|---|
| 代 | 藩主 | 在任 |
|---|---|---|
| 初代 | 岡部宣勝 | 1640〜1661年 |
| 2代 | 岡部行隆 | 1661〜1686年 |
| 3代 | 岡部長泰 | 1686〜1721年 |
| 4代 | 岡部長敬 | 1721〜1724年 |
| 5代 | 岡部長著 | 1724〜1756年 |
| 6代 | 岡部長住 | 1756〜1772年 |
| 7代 | 岡部長修 | 1772〜1776年 |
| 8代 | 岡部長備 | 1776〜1803年 |
| 9代 | 岡部長慎 | 1803〜1833年 |
| 10代 | 岡部長和 | 1833〜1850年 |
| 11代 | 岡部長純 | 1850〜1855年 |
| 12代 | 岡部長寛 | 1855〜1868年 |
| 13代 | 岡部長職 | 1868〜1871年 |
岡部氏の在任年は、資料により元年的ずれや表記の違いがありますが、初代が宣勝、最後が長職で13代続いた点は共通しています。
岡部氏の在任年は、資料により元年的ずれや表記の違いがありますが、初代が宣勝、最後が長職で13代続いた点は共通しています。
戦国期までの主な城主
岸和田城の起源は、楠木正成の一族・和田高家が築いたとする伝承があります。 その後は細川氏、松浦氏、三好氏、畠山氏などが和泉国の争乱の中で城を巡って関与しました。 ただし、この時期の城主交代は史料上の不明点も多く、確実な歴代として列挙しにくいのが実情です。
特に重要な城主
- 小出秀政:1585年に岸和田城主となり、五層天守を備える城郭整備を進めました。
- 松平康重:1619年に入り、伏見城の櫓などを移築して城の防御を強化しました。
- 岡部宣勝:1640年に6万石で入封。岸和田城を近世城郭として大改築し、岡部氏による長期統治の基礎を築きました。
補足
「歴代城主」を厳密に列挙すると、戦国期の支配者交代には諸説・不明点があります。一方、岸和田市の公式説明では、豊臣期の小出氏3代、江戸初期の松平氏、そして1640年以降の岡部氏13代が中心とされています。
和田氏について
和田氏は、岸和田の地名・城の歴史と深く結びついた楠木氏一族の武家です。伝承では、楠木正成の一族・和田高家が1334年(建武元年)に「岸」と呼ばれた当地に城を築き、この地を治めたとされます。
和田高家と岸和田
- 和田高家は楠木正成の甥とされ、建武新政期に後醍醐天皇・楠木正成側の人物として泉州(和泉国)方面で活動したと伝わります。
- 当地はもともと「岸」と呼ばれ、和田高家が代官として移り住んだことから「岸の和田殿」と呼ばれました。
- これがやがて「岸和田」という地名になったと説明されています。
岸和田城との関係
伝承では、和田高家が築いた城が現在の岸和田城の原型(岸和田古城)とされますが、当時の城は現在の岸和田城とは別の場所にあったとされます。 また、近年の研究では、南北朝期にこの地域を支配した「岸和田氏」の存在が地名の由来とする見方もあります。
和田氏の系統
岸和田の和田氏は、楠木氏と同系の橘氏流とされる「河内和田氏」に位置づけられることがあります。 ただし、鎌倉時代の和田義盛ら三浦半島の和田氏とは別系統・別氏族と考えられており、混同には注意が必要です。
和田氏と岸和田の地名の由来
岸和田の地名には、大きく分けて**「岸の和田氏」由来説と、近年有力視される「岸和田治氏」由来説**があります。観光案内や市の説明では和田高家説がよく紹介されますが、一次史料に基づく研究では治氏説がより有力です。
和田高家由来説
伝承では、1334年(建武元年)に楠木正成が一族の和田高家を当地の代官として移住させました。当時の地名が「岸」だったため、和田氏の根拠地として「岸の和田」と呼ばれ、これが「岸和田」になったとされます。
- 和田高家は楠木正成の甥、または楠木正季の三男と伝えられます。
- 「岸」は大阪湾に面した岸辺を指すとされ、「岸辺の和田氏」から転じたという説明も一般的です。
- この説は江戸期の軍記物『太平記評判秘伝理尽鈔』や地誌『泉州志』に由来し、現在も市の観光説明などに採用されています。
岸和田治氏由来説
近年の研究では、地名の由来は楠木氏一族の岸和田治氏、またはその親族にあるとする説が有力視されています。
- 岸和田治氏は、一次史料から実在が確認できる南朝方の武将です。
- 和泉国の岸和田荘を開いた一族が、地名を名字として名乗ったと考えられています。つまり「地名から姓が生まれた」のではなく、「姓の一族が地名を広めた」方向です。
- この説では、和田高家が岸和田の地名や古城の起源とする伝承は、後世の軍記・地誌による誤伝とされます。
岸和田古城との関係
「岸和田古城」は、現在の岸和田城から南海本線を挟んで東側の丘陵にあったとされる城です。 しかし発掘調査では、古城の築城は15世紀後半とされ、和田高家の時代(14世紀)より約150年以上後という指摘があります。
つまり、和田高家が現在の岸和田城の原型を築いたという話も、史料上は確定していません。 現在の岸和田城は16世紀前半に現在地で築かれたと考えられています。
記事での表現例
| 項目 | 和田高家説 | 岸和田治氏説 |
|---|
| 項目 | 和田高家説 | 岸和田治氏説 |
|---|---|---|
| 由来の人物 | 楠木正成の一族・和田高家 | 岸和田治氏、またはその親族 |
| 地名の成り立ち | 「岸」+「和田氏」=岸の和田 | 岸和田荘の地名を名字化 |
| 根拠 | 『太平記評判秘伝理尽鈔』『泉州志』など後世の文献 | 一次史料・発掘調査を踏まえた研究 |
| 現在の位置づけ | 伝承・通説として広く紹介 | 有力視される説 |
記事にする場合は、「伝承では」「通説では」「近年の研究では」と区別して書くと、史実性と読みやすさを両立できます。
2月24日いざ!岸和田城冬の陣が始まる
大阪府岸和田市で2月24日、歴史のイベント「岸和田城「冬の陣」が開かれる

岸和田城
武将行列や武将隊のステージが展開されるほか、岸和田のグルメなどのブースが
並びます。
2024年に岸和田城の天守閣から70周年

岸和田城の天守閣より

岸和田城の天守閣から見た風景
このイベントは、2024年に天守閣から70周念を迎えたことを記念して
春夏秋と記念イベントを実施、冬がラストを締める
武将行列の大将は田村敦さん
武将行列は、岸和田城主を務めた中村一を大河ドラマ「功名が辻」で演じた田村敦さんが
大将となり、岸和田合戦の伝説を今に伝える蛸地蔵天性寺から紀州街道、岸和田城本丸
まで約1キロを練り歩く
二の丸広場では「きしわだ天正楽市」

これは桜の時の二の丸広場
二の丸広場では「きしわだ天正楽市」と称して
府内外の城郭を紹介したブースや地元のグルメブースも並び
ステージでは名古屋おもてなし武将隊らが
パフォーマンスを繰り広げる
天正楽市および武将行列の時間
天正楽市は:朝の10時より午後16時まで
武者行列は13時30分から
また服装には十分注意してくだい
お問い合わせは
岸和田観光復興協会まで
まとめ
岸和田城にはこんなイベントがあります。
そのほか、岸和田には、さくらまつり(おすすめ)、だんじり祭り(迫力があります)
近くにはだんじり会館、また市和田城とセットで買うとお得になってます
会館には各町のはハッピやだんじりも展示してます。また子供がよくやってるだんじりの
大屋根の練習体験も。また岸和田城は別名「ちぎりじょう」とも言われてます。その近くには
岸城神社もありますここは契りの関係が多いです。契りを交わすから。結婚や恋愛の神様です
是非機会があればおすすめします。
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